卒業生からのメッセージ

小宮山 美弘
テクノ・サイエンスローカル事務所 代表
元山梨県工業技術センター副所長
発酵昭和44年卒

『地域から、全国、世界へ、そして地域へ』
平成21年12月になって後輩であり、尊敬する早川教授よりこの欄への原稿執筆の依頼が舞い込んだ。21年10月号の山梨工業会報に同年7月にいただいた日本包装学会功労賞の受賞記事が掲載されたことがきっかけであったようである。

私は大学卒業後、山梨県の地域産業を支援する山梨県工業技術センター(旧山梨県食品工業指導所)に採用された、いわゆる典型的な地方公務員であった。普通であれば大過なく過ごしましたと退職を迎え、このようなところに寄稿するような立場ではなかったかと思う。いささか「あまのじゃく」であったことが今日を迎えている。

地域の研究公務員の仕事の多くは、地域産業の支援が目的であり、依頼分析や技術相談、企業への情報提供や企業巡回支援といったまさに縁の下の力持ち的な仕事であり、行政的にはサービス機関と言われている。ところが採用職種は一応研究職とされているのである。研究職であれば研究をしなければならないのであるが、ほとんど研究らしいことはされずに退職する方も多く、また研究そのものも県庁内では評価されないし、昇進への影響もほとんどない。
私は入所時、新しく組織された食品分野をやりなさいと言われたが、この分野で指導していただける先輩や知り合いは全くなく、仕方なく食品工業学会(現(社)日本食品科学工学会、会員3,000人)に入会し、情報収集を始めた。それが昭和61年には同学会の奨励賞、昭和63年には(社)日本果汁協会技術賞、今回受賞した日本包装学会功労賞の基礎となった(社)日本包装技術協会の優秀包文献賞(昭和60年)もいただいた。

当初学会に参加しても知り合いは全くいなかった。発酵の先輩はもちろん、後輩も含めて現在も極めて少ない。私が参画した分野は、発酵分野の恩師や先輩達が関係しない分野であることを知った。しかし、それが幸いであった。自分をそして山梨の存在を知らしめるためには学会で発表し、論文を書くことだと決意し、何でもいいから発表し、論文に書いた。また、学会では質問魔とも良く言われた。土日返上は当たり前、正月早々実験をして大怪我をしたこともあった。解説記事も含めて200論文は越えたであろう。上司、先輩を口説き、時には上司を騙してまでも、そして土日は密かに、何にしても学術集会に出て行った。田舎にいるとつい回りに同化してしまい、一公務員になる。そのうちそうした会に自ら出ていく気力を失う。学会に出て先端の研究を目の当たりにしてエネルギーをいただくと、不思議に次年度までその効果は持続する。これを繰り返して現在に至った。気がつくと、多くの国内外の食品関係研究者の方々との交流ができた。論文発表により海外との交流も活発になっていった。私のような公務員研究者の何よりの強みは専門分野の幅が広いことである。現場と密接に関係しているから学問をどのようにして現場に移転させるかのノウハウも有している。現職時やむを得ず2つの大学(東京農業大学、山梨大学)の非常勤講師を務めたが、満足できなかった。日々生活のために命をすり減らしている中小企業者がいるのだ。こうした人々のために自分は何ができるかをいつも考えた。

平成18年3月の退職を前に「小宮山先生はどこの大学に行くのですか」というお尋ねが多かった。大学からの誘いも3箇所ばかりあったが全て丁重にお断りした。そして技術コンサルタント事務所を開設した。親しい大学の先生方や関係者は驚いたようであったが、中には「小宮山先生がしたいということはそういうことでしたか」と理解していただく先生もいらっしゃった。心中不安の極みであったが、教育者や研究者は沢山いる。しかし、人材のいない中小企業を直接支援する研究者は極めて少ない。その役割が自分自身の天命だと思い飛び込んだ。この活動の中で最も役立ったのは皮肉にも学会で知り合った多くの先生方の専門的知識や経験、そして人脈であった。

故中山大樹先生(発酵生産、後に環境整備の教授、平成3年没)の「科学者という言葉は大きらい」というエッセーが好きである。「科学者は好きなことをやらせてもらっているのだから謙虚でなければならない」というフレーズに共鳴している1人である。

現在、日本食品保蔵科学会副会長、山梨県食品技術研究会会長、日本包装学会理事、(社)山梨県科学アカデミー理事等学会や研究会の運営面の仕事も数多くさせていただいている。これは全て学問と現場を繋ぐパイプ役になろうとする心からである。

事務所設立の理念は「地域から新技術と新産業の創出を目指す」であり、これまで日本国内各地に出向いた。海外ではベトナム、中国にも短期、長期のコンサルを行った。ご関心のあるかたは事務所ホームページhttp://www.nns.ne.jp/~sumomoを開いて下さい。そして事務所名の中のローカルの心を理解していただきたい。

地域活性化は理屈や理論ではなく、また、高い目線からではなく、自ら現場に飛び込んで実践することであると思う。この原稿を書いた12月にはHPを見た高知市の若い起業家からコンサルを依頼され、1月早々高知に出向くことになった。

最後に社会のために自分は何をするべきか。何ができるのか。それぞれの立場で真剣に考えていただき、優秀な当学科の諸兄達のご活躍とご精進を心から念じて、拙文を閉じます。

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